コーヒーを焙煎すること。
音楽を鳴らすこと。
本をすすめること。
一見ばらばらに見えるこれらの行為は、
荒木翔さんのなかでは、ひとつの循環としてつながっている。
石川県能美市で独自のカルチャー視点からコーヒー豆を焙煎しながら、
音楽制作や文化の発信を続ける荒木さん。
彼にとって文化とは何か。
偏愛と偶然の先に見えている景色について、話を伺った。

荒木翔(あらき かける)
石川県能美市寺井にてコーヒーショップTRDRcoffeeを営む。
コーヒーの提供を軸にしながら、デザインや写真撮影などのクリエイティブワークにも取り組む。
関心領域は地域の文化史および世界のダンス史。文化の探求を通して、ローカルとグローバルの文化的背景を探究している。
TRDRcoffee(ECサイト)▼
TRDRcoffee(インスタグラム)▼
ジャンルは分けない。全部つながっている
——好きなものを挙げるとしたら?文化について、どんな印象を持っていますか?
荒木:「本、インターネット、音楽、食、サブカル、服……って並べることはできるんですけど、正直どれも同じなんですよ。ジャンルとしては違うけど、全部文化の中でつながってる。分ける必要がない。」
音楽が本に影響を与え、
本が服に影響を与え、
服がまた別のカルチャーを呼び込む。
荒木さんにとって文化は、個別の領域ではなく、循環するひとつの生態系のようなものだ。
「多趣味に見えるかもしれないけど、ただ興味があることをやってるだけ。その中で、たまたま自分が誰かに提供できることがコーヒーだったり音楽だったりするだけなんです。」
専門性よりも、つながり。
文化は断片ではなく、連なりとして立ち上がる。
空気を吸い、吐き出し、また巡っていく呼吸のように。
文化もまた、循環のなかで自然に生まれ、形を変えながら続いていくのかもしれない。

ローマの道も偶然から
——文化が生まれる瞬間って、どんなものだと思いますか?
荒木:「ほとんど偶然ですよね。コーヒーだってそう。赤い実が甘いで終わればいいのに、
種を乾燥させて、焼いて、砕いて、お湯かけて飲んだわけじゃないですか。意味が分からない(笑)。」
チーズも、納豆も、発酵文化も、はじまりは偶然だった。
最初から「文化をつくろう」として生まれたわけではない。
「たまたま何かがあって、その周りに人が集まって、あとから文化としてまとまっていく。」
音楽の即興セッションも同じだという。
友人が家に来て、鍵盤があり、コードだけ決めて、その場の呼吸で曲が生まれる。
「文化って、セッションの大きいバージョンだと思ってます。
色んなバックボーンを持った人が、たまたま出会って、そこで何かが起きる。」
偶然が重なり、
人が集まり、
あとから意味が与えられる。
まっすぐに設計されたものではなく、
寄り道や行き違いのなかで踏み固められていく道。
文化はそうした過程のなかで形になっていく。

ディグすることで、文化を一緒に企てよう。
荒木さんの言葉のなかで、何度も出てくるのが「ディグ」という言葉だ。
「上澄みから入るんですよ。有名なものを聴いて、“いいじゃん”ってなって、そこから掘り始める。」
いま名作と呼ばれるものの多くは、時間という篩(ふるい)にかけられ、生き残ってきたものだ。
しかし、その下には無数の試行錯誤と、消えていったムーブメントが積み重なっている。
ディグとは、本来“掘る”という意味の言葉。
文化を深く探り、まだ知られていないものを見つける行為になぞらえて使われるスラングだ。
篩からこぼれ落ちたものを拾い上げ、自分の感覚で見つめ直すこと。
掘るという行為そのものが、文化との関わりになる。
「好きって言ってる時点で、もう文化に参加してるんです。」
作る人だけが担い手ではない。
語る人、広める人、聴く人。
関わるすべての人が、文化の一部になっていく。
文化には深さだけでなく、ある程度の“母数”も必要だ。
玉石混淆であることが、結果として文化の厚みを生む。
求ム、文化を広げる担ぎ手。
——文化が広まる瞬間って、何が起きているんでしょうか。
荒木:「担ぎ手がいるんですよ。粒を集める人と、玉にする人。」
原石を見つける人と、それを御輿に載せて広げる人。
レゲエもヒップホップも、広げる人がいたから文化になった。
「篩にかけられる前に、まず篩にかけてもらわないといけない。」
本質だけでは残らない。
物量も、俗っぽさも、ときに必要になる。
文化は、深さと広がりの両輪で動いている。
分かり合えない前提から始まる
荒木:「例えば、猫って、人間と分かり合えない前提で
一緒に暮らしてるじゃないですか。でも絆はできる。」
人間同士はどこかで
「分かり合えるはずだ」という前提を持っている。
だからこそ、すれ違いが衝突になる。
育った場所も、見てきた景色も違う人たちが集まる。
その違いを抱えたまま同じ場所にいるために、
言葉やしきたり、ルールといった枠組みが生まれる。
完全に理解し合うためではなく、
同じ場で過ごし続けるための足場として。
「それが文化なんだと思う。」
分かり合えないことを前提にしながら、
それでも同じ場で遊び続けるための仕組み。
文化とは、そのための約束事のようなものなのかもしれない。
文化とは、共通の言語をつくること
——最後に、文化とは何だと思いますか?
荒木:「共通の言語をつくること、ですかね。」
完全に分かり合うことはできない。
それでも、同じ場にいるあいだだけでも、
同じ言語で話せる。
先ほどの“足場”という言葉を言い換えるなら、
それが共通の言語なのだと思う。
偶然の出会いから始まり、
人が集まり、
言葉が生まれ、
また次の誰かへ渡っていく。
「僕が目指しているコーヒー焙煎は、メキシコ料理のタコスのような存在なんです(笑)。
まだ誰にも気づいてもらえてないんですが。」
その言葉に、荒木さんらしさがにじむ。
タコスの具材の中には、
私たちにとって一見なじみのないものもある。
そのひとつが、じっくり煮込まれ、
噛むほどに味が滲み出るカルニタスだ。
文化の奥の細道を
どこまでもディグし続けるような、
時間をかけて深まる味わい。
だが同時に、
タコスにライムを絞った瞬間のような
拡張力も必要になる。
香りが一気に広がり、
外へとひらく力。
深く潜る力と、広く放つ力。
その往復のなかで、文化は巡り続ける。

ZEN AIR EIHEIJIより

ZENAIR EIHEIJIでは、荒木さんによるワークショップを開催しています。
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